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テリー(40歳男子)のプロフィール

テリー

このページを開いていただきありがとうございます!当サイトを運営しているテリーと申します。

このページでは「テリー」について紹介しています。

①このブログのテーマ

このブログのテーマは「40代男性がストレス少なく生きのびる方法」です。
このブログに書いてあること(書く予定のこと)は簡単にまとめるとこんな感じです。

40代男のお悩み・ストレスについて書きます。
具体的にはこんなテーマです↓
「幸福感」「人間関係」「仕事」「お金」「家族」「生活力」

ストレス提言のヒントを紹介します。
具体的にはこんな記事です↓
「テリーの体験」「先輩方の著書」「勇気が出る物語」

私テリーは、昨年ついに40歳に突入しました。
40歳と言えば、人生折り返しといっても差支えない年齢です。

人生の前半戦は、
体力もあるし
上位に行ける可能性もあるし
疲れてないから寄り道もできるし
そんな走り方です。

後半戦はそういう訳にも行きません。
人生の前半戦でいっぱい傷も負っている
体力は落ちてくる
色んな可能性は消えているし(ような気がするし)
寄り道する余裕もうないし(ような気がするし)
そんな感じじゃないですか?

なんだかんだ思考と行動シフトチェンジが必要な気がするんですよ。
でないと、ストレスで死んじゃいますよマジで…

そんなわけで40代男たちが悩む色んな問題へのいなしかたをお伝えするのがブログです。

悩んでウジウジして嫉妬深い「やっかいなおじさん」ではなく、自分にも他人にもストレスかけない「気持ちいいおじさん」を共に目指しましょう。

②テリーの基本属性

名前:テリー
国籍:日本
住処:雪国
年齢:40歳(1980年生まれ)
家族:妻と娘1人(小学生)
仕事:フリーランスなんでも屋
趣味:マンガ

テリーと名乗っていますが日本生まれ・育ち、家系を辿ってもみな日本人です。

ではなぜテリーと言うか…自分の似顔絵描いてもらった時に「あっテリーっぽい」と思ったから自分で呼びはじめました。なぜそう思ったのかは謎です。このくるくるの髪の毛は天然です。

住んでるところは雪国の田舎町。学生時代に大阪に住んだことあります。

年齢は、現在40歳。1980年生まれで、俗にいう(?)松坂世代です。松坂とは、野球選手の松坂大輔投手ですね。サッカー好きなので1979年生まれの「サッカー黄金世代」のほうがよかったです。あと広末涼子とか同い年ですね。

われらの世代は、「ポスト団塊ジュニア」とか言われる世代で、就職氷河期に社会に出た「ロスジェネ」と言われたりもします。

まあでも私は、人生うまくいかなくなると「へへ、俺ロスジェネなんで」と言って自信なさげな微笑を浮かべるようなことはないです(たぶん)。

③ブログをはじめた理由

「俺はまだ本気出してないだけ」というマンガで40代無職・漫画家志望の主人公が、将来どうなるのかと考えていて、「あっオレ今将来中だ」と気が付きく場面があります。

40歳とは、子どものときに「将来こんなことやりたい」「いつかはこれをやりたい」と思っていた時の「将来」や「いつか」なのです。

この場面を見てなんかすごくぞくっとしました。

出典「俺はまだ本気出していないだけ 第2巻」より

そのことに気が付いたら…「やりたいことやろう」と思いました。
そのやりたいことがこのブログです。

40になってからで今さらですが…自分の「文章」「言葉」を駆使し、他人様の暮らしに役だって、メシ食っていきたいです。

昔は深夜ラジオパーソナリティーや、マンガ家、小説家にあこがれました。皆、この世界を独特の切り口で見せ…自分の言葉を紡ぎ…人々に影響を与える存在です。自分の言葉・文章を磨くことで自分もそんな存在に近づけるかもしれない。

それに、人々の影響を与えることができる存在は、間違いなくメシが食えると思いました。そもそも会社勤めじゃない私は自分の腕で食わなきゃいけません。その恐ろしさったらないですね。

いつでも、どこでも闘える剣としての言葉を磨くことで、豊かな人生を送りたいと思っています。

10年後の目標は、キャンピングカーで生活をして、週末は全国各地のサッカースタジアムに行き、平日は文章を書く仕事をして暮らすことです。もちろんお金の心配なく。

④テリーの経歴

雪国育ち

テリーは1980年…雪国の田舎町に生まれました。

山間部ではないので…〇mも雪が積もるわけではないですが…
日本海の波「ざばーん!」がすぐそこにある生活です。

親は会社員で共働きでしたので、いわゆるカギっこ。
1歳年上の姉がいます。

子ども時代一番はまったのは、たぶんミニ四駆です。

中学・高校はこれと言って語る事がない

はい、特にないです。
このころの友だちとの付き合いも一切ないです。

別にいじめられていたとか、学校行っていなかったとかはないのですが…今ふりかえっても特に楽しかった記憶があまりありません。

あっ部活はサッカーやってました。
今も自分でやりはしませんが、観るのはすごく好きです。
スタジアムにもたまに行きます。
専用スタジアムが4つもある関西に引っ越したいです。

深夜ラジオとマンガが好き

ではそのころ何も楽しみがなかったかと言うとそんなことはなく…「深夜ラジオ」が大好きでした。

特に好きだったのは伊集院光です。中学生のころはまだニッポン放送で番組を持っていました。22時から「Oh!デカナイト」、高校あたりからTBSラジオで25時から「UP’s(今のJUNKですね)」をやっていました。

当時地方で聞けるのは、オールナイトニッポンの1部だけでした…そして「radiko」なんて素晴らしいものはありませんでした。

そこでアンテナを改造したり、家の中で最高に入る場所を探したり…えぇ本当に涙ぐましい努力をして東京の電波を拾っていましたよ。

いまYoutubeにあがっている当時の伊集院さんのラジオのコーナー聞いても、本当におもしろいですね。今聞いてもおもしろいってすごくないですか。

「自ギャグの詩」とか…ほんと生きる勇気をもらいましたね。「ダメなやつ」っておもしろい…というかみんな「ダメ人間」だなって。

あっあとはマンガですね。高校のときから現在まで、ヤンジャン、ヤンマガ、スピリッツを愛読しています。

大学時代はなぜかコンピューターの世界へ…そして中退

大学は一浪ののちに、大阪の私大の法学部へ進学。

20歳で誰も知り合いのいない、文化も違う都会へ出てきた童貞男子です。もちろん自分を変えるのはこのタイミングしかない!!と気合を入れたわけです。

ぐりぐりの天パだった髪の毛にストレートパーマをかけて、服も自分なりにオシャレなものを揃え(他から見ればダサダサ)、大学デビューです。

しかし女っけというよりは、違う方向へ。
時は2000年です。パソコンが急速に普及していた時期でした。通信環境も初めは電話回線でしたが…大学2回生の時にはADSLで接続できたと思います。

なぜか私は様々な先輩たちにからみとられコンピューターの世界へ入っていくのでした。

えぇ、なぜか授業にもでずにアパートで男ばかり集まって、自作パソコン作ったり…ホームページ作ったりしてました。

えっ俺は童貞捨てるために大学に来たのに…とも思ったのですが、コンピューターの世界も大変楽しかったのです(一応大学在学中に童貞は捨てることができました…一応ね)。

そして四回生の時には、先輩が作った会社でウェブデザイナー(コード書く人でしたが、当時コーダーなんて言葉なかったと思います)として仕事を始めました。

えぇそんな生活送っていたら…もちろん単位なんてとれていないわけで…留年です。学費を親に払ってもらうわけにもいかず休学…そして2年後中退しました。

先輩が作った会社で働くとは、もうそれは休みがない、スキルアップしない…という楽しいと言えば楽しかったのですが…色々限界に達しまして…大学中退と共に、会社も辞めました。

仕事のあてもなく地元へ帰る

そして地元へ帰ることにしたのです。
別に何か仕事のあてがあるわけでもない中での帰郷です。最初の働き先が先輩の会社だったので、就職活動の経験もありません。

大きな会社に就職できる気もしなかったし(そもそも大きな組織で働けるタイプではない)、もの知らぬ若者だった当時は地方の中小企業に入るとか…なんかしょぼっ!って思っていました(今はまったく思っていませんよ!)。

パソコンできる人…で仕事ができた

しょうがないので最初は、辞めたはずのウェブ制作の仕事で、何かできないかと考えました。

地方都市なんて狭い社会なので、商工会議所とか市がやっているイベント等に行けば、意外と色んな人と簡単に出会えます。

そして当時は本当に、地方でITに詳しい人材など皆無に近かったのです。なぜか自称IT通はみなおじさんばかりなのです。

というわけで、パソコンお困り相談、ホームページ作れる、社内のネットワーク整備できるで地元の企業さんからぽつぽつ仕事もらえるようになりました。

地方が行政との関係築けば…わりと仕事できる

もう一つ、地方ならではなのが、行政関連の仕事です。地方で仕事するなら、地元行政と仲良くやるに尽きるといっても過言ではありません。

国からの補助金があって、その受け皿は市ではなくて民間の組織がやらなければいけない、なんていう案件が毎年いくつもあります。

その受け皿が商工会議所だったり、農協だったりするのですが、それぞれ組織縮小がガンガン進んでいて、新しい仕事受けるとかもう無理なんですね。

そこで「テリーさんこの案件の事務方やってくんない?」みたいな話が出てくるのです。そして行政は実績ある人のところに、毎年のように頼んでくるので、一度切り込めればけっこう仕事もらえます

そしてこういう行政案件やっていると、今まで出会えなかった社長さんとか農家さんにも出会えたりするわけです。

そんなこんなで、身一つでなんのコネもなく帰ってきたわけですが、個人事業主としてパソコン・ネット関連のなんでも屋を軸に飯食っていけています。実際行政案件の収入が大半を占めています。

ただ行政案件は、多い年、少ない年があって正直安定しないですし…ちょっと目をつけられるとBANなので正直恐ろしいですね。