人間関係の悩み

自己犠牲をやめれないのは、対人関係と自分の人生からの逃げているからである

自分が無理してすむのであれば…

自分がちょっとお金負担してすむのであれば…

こんな風に何か面倒ごとが起こった時に自分が損してでも面倒ごとを回避したいことってありますよね…。

テリー
テリー
どうもテリーです。飲み会の幹事はなるべくしたくないです。なぜなら、来ないやつがいた、予算オーバーした、そんな時自分で負担しがちだからです

1,000円くらい、3,000円くらい、、最悪1万円以内なら、自分が負担してもしょうがないか…オレもちゃんと言わなかったのが悪いしな…

私はこんな思考になりがちです。

でも積み重なると…けっこうな額になってしまうし、、なんだか人と関わるのが億劫になってきてしまいます。

これぐらいの自己犠牲ならまだいいのですが、もっと大変な問題もあります。

「親の介護」だったり「仕事の役割分担」であったり…安易に自己犠牲するには、リスクが大きすぎることもあります。

小さな問題で自己犠牲してしまう人は、おそらく大きな問題でも自己犠牲してしまいがちです…

そんな自己犠牲をしがちな自分をなんとかしたいとは思いますが…どうしたらいいんでしょか。

本記事では、自己犠牲してしまう原因とその対処法について解説します。

自己犠牲しがちな人の原因

自己犠牲は対人関係から逃げる口実である

自己犠牲してしまう理由の多くは、面倒な交渉や調整から逃げたいからです。

飲み会の例で言えば、こんなところでしょう。

「来なかった人に会費を請求するのが面倒…キャンセル料かかるとは伝えてないけど…嫌だと言われたらどうしよう…」

「立場の強い人が勝手に追加注文してしまった…その人に負担してもらうの?みんなで割り勘するの?それどうやって決めるの?めんどくさい…」

これらすべて面倒な「対人関係」に向き合いたくないというのが理由です。

もちろんコスト比較をした場合に、交渉にあたるコストを考えれば、自分で払ったほうがコストは低いなと考えれば、それもありだとは思います。

しかし「対人関係」を回避するために、何でも自分が犠牲になるということは問題です。

事がもっと深刻な場合に、その問題は顕在化します。

自己犠牲は自分の意思で生きることから逃げる口実である

自己犠牲の深刻さは、たびたび家族の問題で顕在化します。

「家族のために」と自分を犠牲にして、親の介護をしたり、子どもの勉強に過度に干渉したり、自分が稼がなければ大変だと過剰労働をしたり…ということがあります。

これは「家族のため」を大義名分にして「自分の人生を自分で選ぶ」という行為から逃げているのです。

家族のためにと言っていれば、誰も否定できない理由になるからです。

しかしそれは自分自身が家族に依存をしているのです。

藤森かよこ著「優しいあなたが不幸になりやすいのは 世界が悪いのではなく自業自得なのだよ」というやたらとタイトルの長い本があります。

この本で「優しいあなた」つまり「家族のために自己犠牲を厭わないあなた」を強烈に皮肉っています。

「優しさ」は葛藤、争いを避けるということでいい風にとらえれることもできるが、実際は立ち向かわなければならない問題から逃げているだけなのである。

あなたは優しいのではない。自分の人生に対する自己確信がないだけ。

まずは、一家心中メンタリティ=一家連帯責任メンタリティ=家族への過干渉保護を自分の優しさだと思う迷妄から早く覚めよう

自分がいなくなったら家族は生きる術を失うという思い込みの「一家心中メンタリティ」

家族の誰かが問題を起こしたら家族全員の責任だという思い込みの「一家連帯責任メンタリティ」

家族の課題に過度に干渉する「家族への過干渉保護」

それは皆あなたが「自分の人生を生きる」ことからの回避なのです。

自己犠牲とギブは違う

一方で「自分から与える人」になることが、これからの時代大事だ!みたいな話があります。

その発端となったのが「GIVE&TAKE「与える人」こそ成功する時代」という本です。

人との関係を作るにしても、モノを売るにしても「まずは自分がギブしましょう」みたいな言葉がよく使われるようになりました。

ツイッターで自分が持っている「有益情報」をギブすることで、自分のファンを作って、そこからセールスするみたいなやつですね。

このギブする人を「ギバー」と言い、逆に人からもらうだけでギブしない、できない人と「テイカー」と言います。

そしてギバーには「成功するギバー」と「燃え尽きるギバー」がいるそうです。

成功できないギバーは「自己犠牲的」で、成功するギバーは「他者貢献的」であるという説明がされます。

「他者貢献的」であるとは、相手からの見返りを求めないが、自己利益を見失いません。相手に与えることで自分の充実が図られたり、より人から求められる人材になれれば、それは自己利益です。

一方で「自己犠牲的」であるとは、本当はやりたくない、またなんらかの逃げを理由に、相手に与えることを指します。

これは明確に区別すべきことです。

やるべきことは「課題の分離」

こんな自己犠牲をしがちな人がやるべきことは「課題の分離」です。

課題の分離とは、アドラー心理学の重要概念です。

自分は「自分の課題」にだけ向き合い「他者の課題」を気にすることも、踏み込むこともするべきではないという考えです。

あらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと-あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること-によって引き起こされます。

われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離していく必要があるのです。

飲み会の例で言えば「会費を払っていない」「勝手に追加注文した」というのは、すべて他者の課題であって、自分の課題ではありません。

家族の例で言えば次のようになります。家族と自分は別人格であり、例え家族であっても、「自分の課題」と「父親の課題」「娘の課題」という風に区別して考える必要があるのです。

「やさしさ」や「対人関係の回避」を理由に、「他者の課題」に土足で踏み込む「自己犠牲」は、自分のためにも、他者のためにもすべきではないのです。

まとめ 分離を恐れている人たちへ

「課題の分離」って、相手を突き放すように感じて、怖いという人がいます。

しかし実際にやってみれば「怖い」よりも「気持ちが楽になった」という気持ちよさの方がきっと大きいと思います。

私はそうでした。それほどまでに「他人の課題に介入」をしていた自分に気が付きました。

考えなくてもいいことをどれだけ勝手に考え悩んでいたのかと。

そして他人の課題に思い悩むことで、自分が本当に考えなければいけないことからどれだけ逃げていたのかと。

逃げちゃだめです。おわり。

オススメ図書

嫌われる勇気(岸見一郎/古賀史健)

アドラー心理学を紹介した超ロングセラー&ベストセラー書籍。

自分に自信がなく対人関係に悩む青年と哲人の対話を通じてアドラー心理学のポイントを解説します。

青年の悩みには共感しかないです。ほんと。

優しいあなたが不幸になりやすいのは 世界が悪いのではなく自業自得なのだよ(藤森かよこ)

藤森氏は元祖リバータリアン(超個人主義的自由主義)であるアメリカの国民的作家アイン・ランド研究の第一人者だそうです。超個人主義か、、それならこういう過激な言葉にもなるかもですね。

「21世紀の日本にいまだ蔓延する『個人の尊厳を考えない文化』は家族というフィールドにおいてもっとも露骨になる」という言葉が同書のすべてを物語っておりあます。